2011年 05月 13日
OLYMPUS E-410 銀閣の前からバスに乗って修学院へ行く このエリアへ足を踏み入れるのは おそらくこれが初めてだ つまり 銀閣寺より北側で 白川通りより東側のエリアは まったく未知の世界である こんな辺鄙なところに どんな京都があるのだろう・・・ 修学院離宮は 理由は知らないが 十八歳未満の者は入れないという決まりがある つまり 早い話が 修学旅行が来ることは絶対に無いということだ それにしても 修学院なのに修学旅行が来ないとはこれ如何に・・・ しかし 修学旅行が来ないということは とりもなおさず 静かだということだ バスを降りて どんどんどんどん どんどんどんどん 歩いて歩いて 修学院離宮まで行ってみると 門番のお姉さんが現われて いきなり 「参観許可証を見せろ」と言う 「運転免許証でもいいか」と訊くと 「ダメだ」と言う 「運転免許証しかない」と応えると 「参観は無料だが必ず宮内庁発行の許可証が必要なのだ」と言う 「その許可証はどこでもらえるのだ」と訊くと 「宮内庁京都事務所に申請すればもらえる」と言う 「じゃあ今から申請に行く」と言うと 「ただし申請当日は発行せず翌日以降の発行になる」と言う 「面倒くさいものだな」と言うと 「まあそうだ」と言う 「インターネットでは申請できないのか」と訊くと 「できる」と言う 「どうすればいいのだ」と訊くと 「詳しくはウェブで」と言う http://sankan.kunaicho.go.jp/guide/shugakuin.html そうか 許可証がいるのか・・・ せっかく18歳以上なのになぁ・・・ すると ボクの後ろにいたおじさんが 自慢げに参観許可証を広げて見せながら中に入ろうとした すると門番のお姉さんが両手を広げて 「ちょっと待ったー」と言う おじさんが 「なんだ文句あるのか」と言うと 門番のお姉さんは 「その許可証では入れない」と言う 「なぜだ」と抵抗するおじさんに 「これは桂離宮の許可証じゃないか、ここは修学院離宮だぞ」と言う 「え〜!ここ桂離宮じゃないの」と困惑するおじさん 横手に佇んでいたおじさんの妻らしき女性が 「だから私が何度も『ちがうのとちがうの』て言ったでしょ」と言う 「よし桂離宮へ行こう、桂離宮はどこにあるの」とおじさん 「桂離宮は桂にあるが、タクシーでも一時間ぐらいかかるぞ」と門番のお姉さん 参観許可証には参観時間が記されていて 指定された参観許可時間の13時30分まであと5分しかない もう間に合わない 手遅れだ 追い討ちをかけるように 門番のお姉さんは 「あきらめて帰れ」と言う 「う・う・う・・・」 おじさんは泣きながら帰って行った そんなわけで 中に入れてもらえなかった しかたがないので 修学院離宮から徒歩20分の曼殊院門跡へ行くことにした 曼殊院門跡は「まんしゅいんもんせき」と読む 歩いていると 面白い形の門に出くわした 門の屋根の上に櫓のようなものがあって 「解脱山」という看板がかかっている もしかして これが曼殊院門跡か・・・ まだ10分も歩いていないぞ・・・ 解脱山 よくみると 禅華院という臨済宗大徳寺派の寺だ 曼殊院かと思ったら なんだ 寺か 曼殊院も寺だという指摘もある さらに どんどんどんどん どんどんどんどん 歩いて歩いて 修学院から二十分ぐらい経ったが 目指す曼殊院は見えてこない おかしいなぁ 道を間違えたかなぁ 野良仕事の手を休めているお爺さんがいたので 訊いてみることにした 「この道は曼殊院へ行く道ですか」 「そうですじゃ」 「あとどれぐらいですか」 「さて、わしは行ったことがないですからの」 「まだ先なんですね」 「さて、わしは行ったことがないですからの」 「わかりました、とにかく行ってみます」 「そうなされ」 なるほど 道はまちがっていないが どれぐらい先なのかは行ったことがないのでわからないということらしい お爺さんと分かれたところから さらにだらだら坂を どんどんどんどん どんどんどんどん 20分ほど上ったところで 来た道を振り返る・・・と こんな感じだ _u_m_u_m_u_ 富山や福井にもあるような 和歌山や徳島にもありそうな ごくありふれた田舎の田園風景だ 周囲に曼殊院らしきものはなにもない それにしても 徒歩20分のところを 20分歩いたところで道を尋ね さらにそこから20分歩いたのに まだ着かないのはいったいどういうことだ しばらく行くと 道が二股に分かれていた _u_m_u_m_u_ 運命の分かれ道だ 道幅の広い方を選んでさらに どんどんどんどん どんどんどんどん 10分ほど歩いて これはまちがえたな と あきらめかけたところで やっとそれらしき建物の屋根が見えてきた 果たして それは曼殊院だった もしかしたら20分というのは「クルマで」かもしれない さて 曼殊院は許可証もなにも必要なく 拝観料600ヱン也を払うと すんなり中に入れてくれた ところが 恐竜のような迫力のあるおばさんが出てきて 「写真はダメですよ」と言う 「そうですか」と言うと 「縁側から庭を取るのはいいけれど」と言う それで 撮った写真が上のと これだ 庭が美しいのと 台所の壁に 寺の坊主が食べたものだろうか その日の献立を書いた紙が張ってあったのが面白かった以外 特に見るべきものはなかった それに 写真に撮られて困りそうなものもなかったし ボクは 「つまらぬ」 と 小さな声で言い残し 早々に外へ出た 肩を落としながら来た道を戻っていると 途中に脇道が一本あって その奥に 来るときは気付かなかった鳥居が見えた 鳥居ということは神社だ 鳥居の下まで行ってみると 「鷺森(さぎのもり)神社」 とあった どうやらこの脇道は 鷺森神社の裏参道のようだ 参道を ずんずんずんずんずんずんずんずん ずんずんずんずんずんずんずんずん 進んで行くと 社務所のような建物があった 社務所の前に広場があって 櫓のような建物があった そこから石段を上ると 本殿に出た OLYMPUS E-410 なかなか立派な本殿だ さっそくお賽銭をあげて 「ガシラがたくさん釣れますように」 と お祈りした おみくじを引こうと思ったが 社務所は無人だった あきらめて帰りかけたら なんと おみくじの自動販売機があった _u_m_u_m_u_ なんだかありがたみがないなぁ それに これでは巫女さんとのコミュニケーションがはかれないではないか しかし まあいいか・・・ 100ヱン玉を入れると同時に 折り畳んだ紙がピョコンと飛び出してきた 紙を広げると・・・ 第四十番「吉」 だった 吉ということは つまりスカだ ああ ついてない人生だったなぁ 参拝客はボク以外にもう一人いた 若い男が盛んに本殿の写真を撮っていた もしかしたら有名な神社写真家かも知れない この日の夜 腰に付けた万歩計を見ると 33000歩を超えていた さ・さ・さんまんさんぜんぽ・・・ こんなに歩いたのは久しぶりだ 数字を見た途端 疲れが出て寝ることにした これを読む方がもっと疲れるという指摘もある ごもっとも 曼殊院 歩き歩いて 鷺乃森 足が痙ったり 蹴爪突いたり どろ
by ikasasikuy
| 2011-05-13 02:46
| 宗教民俗学
|
Comments(4)
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ゾン
at 2011-05-13 22:12
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あ~つかれた~
いまからかえろ~ かえったのも~
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ドクた、
at 2011-05-13 23:02
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あ、なんや行かはりましたんか
33000くらいなんでんネん 僕ぁ 修学院から比叡山延暦寺を経て滋賀県坂本 (コレ 午前中の散歩コースやで) 状況がチガウ?(それもそーですネ) ま、哲学の道辺りからタクシー乗るのが正解やったみたいですが (帰りは下りやから転がったらよろしやん) 下りといえば、やっぱ宮本武蔵の一乗寺下り松は行かはってんやろネ ちなみにコレ 昔撮った曼殊院 http://punyo81.blog1.fc2.com/blog-entry-170.html え?サギの森やったんか 今の今までずーと間違ぅて呼んでました (サギやがな)。
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ikasasikuy at 2011-05-14 00:12
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ikasasikuy at 2011-05-14 00:32
ドクたはん
延暦寺超えて坂本まで散歩て 八瀬からケーブルカー乗ったら散歩ゆわへんのですよ ほんで 一乗寺のミヤモトvsヨシオカ軍団のバトル あれはホンマのことですか? なんか ウソくさい気がします たぶん 作り話でしょう ほんで ほんで 鷺森神社 さぎのもりと読まんと なんて読んでたんかごっつ気になります え? そんなもんきにせんでええ? あ そですか むかし まだ八瀬遊園があったころ 冬にスケートしたことあります あれは 1975〜76年頃でした そこから先は 三千院でしたが 雪でクルマが通れへんので断念して以来 いまだに三千院へ行ったことありません こんどいっしょに行きましょう え? なにが悲しいておっさん同士でいかなあかんねん? それもそうですね |
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