2012年 08月 17日
DA-GASHI
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マルカワ・オレンジ・フーセンガム
OLYMPUS E-410 with Zuiko D25mm F2.8





子供のころ
家の斜め向かいが駄菓子屋だった
カメダという家で屋号も看板もなかった
おばあさんが一人でやっていた
ボクらは「カメダのおばん」と呼んでいた
子供の扱いが上手で
わからないことはちゃんとわかるように説明してくれた
そのかわりグダグダしているとよく怒られた

まだ幼稚園にも上がらない頃
生まれて初めて金の使い方を憶えた店だ
最初のうちは
持ってきたお金を先に渡しておいて
ガラスのビンに入った飴や煎餅を選んでいるうちに
合計金額がちょうどになったところで
「もうしまいやで」
と教えてくれた
「もっと買う」
というと
「たし算でけへんのか」
と怒られた
やさしそうに見えて
よく怒るおばあさんだった
小学校の高学年になって
おばあさんより背が高くなると
自然とカメダへ行かなくなった

少し行ったところにもう一軒駄菓子屋があった
やはり屋号も看板もなく
みんなは「ナカニシ」と呼んでいた
ここは夫婦でやっていておっさんが恐かった
やっぱりグダグダしているとこっぴどく怒られた
駄菓子屋はさっさと買って帰るのが鉄則なのだろうか
ボクは駄菓子屋でグダグダするのが大好きだったけれど・・・

ナカニシは駄菓子のほかに
夏はアイスキャンデーや氷饅頭
冬はかんとだきを売っていた
冬の店先はものすごい匂いがしていた
夕方になると近所の子供が鍋を持って買いにきた
一度だけ買って食べたことがある
グツグツに煮詰まって真っ黒になったチクワは
ものすごくイヤな味がしたのをはっきり憶えている


その当時の駄菓子屋では
マルカワのオレンジフーセンガムは高級品だった
正方形の箱に小さめの球形のガムが4つ入っていた
安いガムはハリスかコリスが定番で
ロッテは超高級品なので駄菓子屋にはなかった
キャラメルはカバヤかフルヤだった
市場へ行けば森永やグリコのキャラメルがあったが
駄菓子屋にはそういうメーカーのモノはなかった
それに
弱小メーカーの怪しげな菓子こそが駄菓子屋の魅力だったのだ
ほかにも
毒々しい色の付いたわらび餅とか
試験管のような細長いガラス容器に入ったジュースもあった
化学的な味のする毒々しい色が付きの水だった
いつも母親に
「あんなもん飲んだらチョーチビスになるから飲んだらあかんで」
と禁止されていた
それでもかくれてよく飲んだ
飲むとベロが真っ赤に染まるのですぐにバレた

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ファミレスのレジにマルカワのガムのセットがあった
大好きだったオレンジガムも入っている
それぞれ二つづつ入っていて200円ぐらいだった
安い・・・
買って帰った

パッケージを眺めているうちに
忘れていた遠い日のことをあれこれ思い出したというわけだ
ああ
なつかしいなぁ
ひとつ口に入れてみた

 うわっ、あんまぁ・・・

すぐに吐き出した
気分が悪くなるぐらい甘かった
そうか
こんな味だったのか・・・
すっかり忘れてた

by ikasasikuy | 2012-08-17 07:14 | 食文化論 | Comments(12)
Commented by 猫宮トラオ at 2012-08-17 08:56 x
こんにちは、
還暦の爺イには懐かしい話題ですね。街の駄菓子屋。
他にも屑米で作ったような塩煎餅、頭が痛くなるほど
甘ったるいチョコレート(のようなもの)、著作権もヘッタも
無いようなTVヒーロー素人真似描きベッタン、100連発
ブリキ拳銃、2B・投げ玉等各種火薬etc・・・
ほんで、何処の店もダラダラ迷ってたら、はよ買えとか
買わへん子ォは外へ出て行け、とか好きなこと言うてはりました。あれも子供に対する「教育」なのかも知れません。
駄菓子屋で「即断即決」を鍛えられたとか?!

話変りまして、昨日は甲子園浜で「戦前の阪神パーク遺跡」
を探索しました。釣りでは有馬線。
ここの黒鯛は、数年前ダンスの師匠に付き合いましたが
釣ったのを即、〆て冷やして持ち帰っても嫌に磯臭くて
(焼き物にしましたが)以後、甲子園は嫌やそうです。
で、肝心の「ライオン像」は見つかりませんでした。
昨日もそうでしたが大潮の時の干潮時しか見えんそうです。
Commented by ladon at 2012-08-17 11:23 x
駄菓子屋て
何処とも屋号無かったんですな
近所の駄菓子屋も出口ちゅう
苗字で呼んでました
花園にいてる時も大西て
苗字で呼んでました
駄菓子屋と呼ばずに
一文菓子屋てゆうてました
(オカンがそうゆうてたからか)
ほんで、ロッテのガムですけど
板ガムの前は飴玉位の大きさの
オレンジ色のガムでセロファン紙に
飴玉みたいに捻って包んで
一文菓子屋でも売ってました。
ロッテも駄菓子扱いでしたです。
私が初めて口にした
チュウイングガムは
リグレーの糖衣粒タイプの
ガムでした
ギブミー・ガムゆうて
ジープの後ろ追いかけたんでは
ないですが
爺さんが会社(証券会社)からの帰りに
たまに土産に買うてきてくれてました。
Commented by at 2012-08-17 12:30 x
私もこのオレンジのガムよく噛んでました。
(この話、前にも書いたかもしれませんが)
私がまだ小さかった頃、
祖父が店をやってたので、
よく駄菓子をくれました。
私は子供のくせに、駄菓子があまり
好きではありませんでしたが
このガムは好きでした。
くじがついていていつも当たるのです。

その当時は「やった~!」って素直に
喜んでましたが、今思えば、
祖父は仕入れたときに別でつけてあった
当たりのガムを持ってきていたんだと
思います。

そんな祖父も私が小学生になる前に亡くなり、
駄菓子をもらうこともなくなりましたが
今でもこのガムを見ると、
「お菓子をくれるおじいちゃん」のことを
思い出します。
Commented by nora-hitsuji at 2012-08-17 13:05
小学校4年生のころ(だったかな?)、1959年か60年ころですわ
学校から社会見学でハリスの都島工場に見学に行ったのを思い出しました
突然こんなことも思い出すんですね
自分ながら感心してます
お土産に3枚入りの板ガムを貰いましたが、何のフレーバーやったか思い出せませんけどね
Commented by ikasasikuy at 2012-08-17 14:11
ねこどの
「駄菓子屋で即断即決を鍛えられる」
たしかにあります
とくに
カメダのおばんがご飯食べてる最中にいくと
「なんでこのタイミングで来るねん」
という空気がただようてて
なにもゆうてへんのに
ごっつ急かされてる気分でした
ほんで
甲子園浜のライオン像
なんびゃっぺんと甲子園浜へ釣りに行きましたが
見たことないです
だいたい満潮狙いですし
画像検索すると
けっこう大きな頭部が空を見上げているんですね
ほんで
ここらのスズキやチヌは食たことないですが
なにしろ海が海ですし
今は水はきれいに見えても
海底には沈殿した「おでい」が堆積して
六価クロムや水銀やダイオキシンもたっぷり含まれてるし
それにもまして
甲子園浜浄化センターからの排水のニオイ
たまりませぶんいれぶんです
釣りをしていると
散歩中のお婆さんが近づいてきて
「ここの魚は釣っても食べちゃダメですよ」

ご親切に忠告してくださいます
Commented by ikasasikuy at 2012-08-17 14:22
ladon師匠
やっぱし駄菓子屋は屋号なしがふつうですか
まあ
そうですね
ごくふつうの家の玄関先を
ちょっと改装して営業してましたから
それですべての生計を立てているとはみえず
どっちかというと
年寄りのひまつぶし
ですからね
ほんで
セロハンに包んでひねったあるガム
おぼえてます
あれ
ロッテでしたか
そうでしたか
一気に噛まず
ぐるりのかたいとこしゃぶってから噛みましたね
ほんで
リグレーのスペアミントガム(板の白パッケージ)
鳴尾の家が進駐軍が近所やったので黒人の兵隊によぉもらいました
ダブルミント(緑パッケージ)ももろた思います
ボクらは「アメちゃんのガム」ゆうてました
あのパッケージデザインは秀逸でした
ほんで
「一文菓子」はきいたことありますが
ゆうたことはありませんでした
Commented by ikasasikuy at 2012-08-17 14:26
ぴさん
当たりのガム
_u_m_u_m_u_
なんと心温まる思い出でしょう
いいおじいちゃんですね
ちょっと "Jeeeen" ときました
ほんで
このオレンジガム
ファミレスのレジのとこに置いてあって
ごはん食べたおつりで買えるお値段です(一箱20円弱)
けど
いまはもうこの甘さにはついていけません
あんまい
あんまい
Commented by ikasasikuy at 2012-08-17 15:01
nora-hitsujiさん
ハリス製菓
都島に本社があったんですね
カネボウに吸収合併されたあと
いまはもう影もカタチもありませんけど

「おでかけですか」
「はい、ちょっと都島まで」
「釣りですか」
「いえいえ」
「宮古島でしょ」
「えぇ、都島ですけど」
「宮古島まで行って釣りしないんですか」
「城北ワンドまでけっこうありますしね」
「シロキタ?」
「野江あたりでなんか釣れますか」
「ノエは知りませんけど、やっぱりGTちがうんですか」
「GT・・・?」
「そうです」
「巨人阪神ですか」

ほんで大阪の都島にあったカネボウ(旧ハリス)の工場は
今はベルパークシティというのになってます
香草住宅と商業使節です
え?
高層住宅と商業施設やろ?
まあ
そうですね
Commented by bugscope at 2012-08-17 16:06
マルカワのガムといえば
真っ先に「フィリックスガム」を思い出します。
一介の駄菓子メーカーが
よくぞあんなキャラクターを使えたものだと思ったら
案の定、当時は無断使用だったんですねぇ。

あの頃、子供向けの板ガムは3枚入り10円で
しかもオマケ全盛期でしたから
包み紙が転写シールになっていたりして
それを冷蔵庫やらタンスやらにゴシゴシ貼り付けては
オカンに叱られていました
という痕が、今も茶箪笥に残っています。
その10円板ガム
絶頂期には一手スポンサーで
「ハリスの旋風」 をやっていたことを思うと
とんでもない数が売れたんだなあと感心します。
 
Commented by ikasasikuy at 2012-08-17 17:40
bugscopeさん
こんにちわ
右下のネコのヱのやつですね
今は「エフエックスガム」になってます
発売当初はこのパチモンまるだしのヱで「フィリックスガム」でした
米国の本家から著作権侵害の抗議があって「FX」に名前かえたんですけど
ところが
その後本家と正式にライセンス契約を結んで今はヱもホンモノ使てますね
丸川製菓がんばってます
http://www.canyon-plaza.com/20_470.html
(そやのにパチモンのエフエックスガムもなぜか売り続けてます)
今度売ってんの見たら買おと思います
1つ8円・・
ほんで
たしかにボクらが子供のころのキャラメルやガムは「オマケ」が生命線でしたね
味は二の次でオマケがたよんないと子供に見放されて売れませんでした
ボクは赤い箱のグリコのオマケが大好きでした
当時はまだ木のおもちゃありました
しかし
グリコの品のない味が嫌いで
おまけを手に入れると中身は近所の子にやってました
好きなんは
黄色い箱の森永ミルクキャラメルで
これにオマケが付いてたらええのになと思ったものです
ハリスの旋風・・・イシダクニマツ
テレビでやってましたね
主題歌いまでも歌えますよ
ああ
なつかしいなぁ

Commented by じゅんた at 2012-08-17 20:02 x
ikasasikuyさん
こんにちは
皆さんの}コメントの筋からは外れてしまいますけど
ごめんね ごめんね~ (C) by U字工事

>ああ
>なつかしいなぁ
>ひとつ口に入れてみた
> うわっ、あんまぁ・・・
>すぐに吐き出した
>気分が悪くなるぐらい甘かった
>そうか
>こんな味だったのか・・・
>すっかり忘れてた

確かにおっしゃる通り
昔の味の記憶は茫洋としていますね
味の記憶は例えば
 おふくろの味
とかいって厳然とあるようですが
実際はあいまいです
今食ったものの味さえうまく表現できないのが通例です( か?)
 どしてかな
 なぜかな
と思っていたのです
三度三度飯を食う私たちが
事細かに美味い不味いを覚えていたら
それはそれで大変なことで
 あそこじゃ二度と・・・
とか
 あいつの飯は二度と・・・・
とかなりそうです
 あの味はどうだたっけ
なんてすぐ忘れてしまう
あるいは
 腹が減ってりゃなんでも美味い
という状況が
生きていくには大切なことで
 人間そういう風にできているのかもしれないなあ
といまさらながら思い初めたる
秋のゆふぐれ
あはは
あはは
Commented by ikasasikuy at 2012-08-17 20:22
じゅんたさん
そうです
たしかに
ニンゲンの記憶ほど曖昧で模糊としたものはないです
特に食べたものの味をいつまでも記憶できるニンゲンは稀です
それに
食べ物に対するニンゲンの嗜好は
刻一刻と変化しています
味覚もどんどんどんどんどんどんどんどん変わっていって
甘いものが好きになったり
逆に苦手になったり
急に辛いものや苦いものが食べたくなったり
常に一定ではないのです
さらに
一日の中でも
朝と晩では食べ物の好みも変わります
こうなるともう
ナニが美味しくて
ナニがそうでないのか
それすらわからなくなってしまいます
しかし
それでも
玄人は(だれが?)
うまいものを食べたときに
「筆舌に尽くし難い」
とか
「言葉を失ってしまう」
などと
逃げ口上を言ってはイケナイのです
ましてや
「うまいもんはうまい」
など
無責任な発言も慎まねばなりません
このごろよく耳にする
「普通に美味しい」
なんですかこれは
語彙力の貧困が生んだ最低な表現です
ほんで
「空腹は最良のソース」
ですけど
まったく言い得て妙であります
えへへ
えへへ



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