2015年 10月 27日
LUMIX DMC-TZ30 ひと目見てタツキンとわかる建物が唐津にもある 旧唐津銀行本店 それもそのはずだ 辰野金吾は肥前国唐津藩(現在の佐賀県唐津市)の出身だ 嘉永七年(1854年) 唐津藩の下級役人の次男として生まれた したがって タツキン建築が唐津にあって何の不思議もない むしろ小樽や盛岡にあることが不思議だ 建築物:旧唐津銀行本店 建築年:1912年(明治45年) 設計者:辰野金吾、田中実 構 造:煉瓦造二階建 建築地:唐津市本町1513番地15 建物は平成9年まで銀行として使われ その後唐津市に寄贈された 現在は内部を見学用に解放していて 受付にきれいなおねえさんが二人も配備されている 平成になるまで使われていたわりに 家具調度はそのまま美しく保存されていた 唐津人の民度の高さが窺える 大坂人も見習うべきだ 館内には辰野金吾の生首も曝されていた 胸像だという指摘もある クモヒトツナイ青天に煉瓦建築が映える もしかしたら 唐津へ来た主たる目的は これではないのかというギワクもある しかし コモノ釣師の看板を掲げている以上 嘘でも「釣りのついでだ」と言わざるを得ぬ 大人は本音と建前を上手に使い分けねばならぬのだ 追伸 受付のきれいなおねえさんは 二人とも二十代前半で笑顔が素敵で ほんとうにきれいなおねえさんなので念のため
by ikasasikuy
| 2015-10-27 07:56
| 文化人類学
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Comments(7)
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ladon
at 2015-10-27 14:13
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おはよごだます
唐津の空だけにカラッと晴れ渡っております なんぞと、しょうもない事をばワーワーと言うております 胸像、わざわざ色ぬらんでもと・・・ 白髪や白髭が目ぇ剥いてまっせ!! ブロンズ色の方が風格あるように思います!! タツキンさん、えろう色黒で 写真もこまいんで 一目見た時 何で、エンさんの・・・ と思いましたです ははは へて、明治モダン建築を見る 小物釣りをする 美味い、飯や酒を求めての痴呆徘徊て・・・ 本音は、きれいなおねえさんに巡り合う事では・・・? 追伸でついもらしましたな オミクジストの旅で御籤のコメントもさることながら 巫女さんの様子や容姿をさり気なくちりばめてある文から 薄々は感じておりましたですけどね しゃあけど、きれいなおねいさんは 私めも大好きです 見て楽しんでるのが一番かと 何かもの言うてしまうと 質が判ってしまい幻滅てな・・・ 私だけか(あんまりエエ経験してない証拠) ははは
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ikasasikuy at 2015-10-27 15:16
らどんししゃう
おはよごだます 今日も今日とてハゼ釣り修行 連日アホちゃうかという好天が十日余り続いておりますが 今夜あたりからさめが、いや、雨がフルヤウナ気配です 冬が来る前に 釣れるもんはみな釣っておこうという魂胆てす ほんで きれいなおねえさんはなかなかえてません 百人に一人 千人に一人の確率です すれがあーた 二人のうち二人ともがわかくてきれいなおねえさんという奇跡的な場面に遭遇しますと 大吉二連発以上のラッキーです ほんできれいなおねえさんは眺めるだけにしようと思うのですが いつも向こうから話しかけてくるので困っています
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ladon
at 2015-10-27 17:45
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あはは
さいでございますか 向こうから・・・ しやわせなこってございます 困らんでも・・・ わたいらそんな目ぇには とんと、遇うたことおまへんですは ムコン川?で鯊でしたかいな 釣果は如何に、エンさんのアフリカパワーの乱入ありや、なきや? 明日が、楽しみです
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ikasasikuy at 2015-10-27 18:54
ladon師匠
向こうから話しかけてくるんは ボクが魅力的やからかと思たらそうやのぉて ぼーっとしてて頼んなそうに見えるからみたいですねん 「手袋落としましたよ」 とか 「あ、おつり忘れてますよ」 とか 「それ反対です、穴の開いてる方を下にしてください」 とか たいがい このおっさんあほちゃうか 頼んのぉてもう見てられへんわ ちゅうカンジで話しかけられるので・・・ 困ったもんです いっぺん山口県の長門で 若ぅて横に大きなおねえさんに700mぐらい追いかけられて 必死で逃げたけど赤信号でつかまったんです なんやろ思たら 落とした財布を持って追いかけてきてくれましてん 汗ぼとぼとになったはりました ほんまに助かりました それと きれいな外人のおねえさんによく道を訊んねられます 周り見たら ほかになんぼでもかしこそうなひとおんのに なんでボクやねん思います まあ 6カ国語ぐらいは話せますけど ほんで ハゼはまたこんど書きますけど 期待したような好釣では有馬温泉でした ヱンさんに電話したら 「いまJD中でいそがしい」 ゆうてました
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juntaseasons at 2015-10-27 21:02
ikasasikuyさん
こんにちは 金吾さんは 生来優秀だったので 姫松家から辰野家に養子にでたのでしょう あ この辺りはWikiの聞きかじりです↓ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B0%E9%87%8E%E9%87%91%E5%90%BE
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juntaseasons at 2015-10-27 21:27
ikasasikuyさん
こんにちは 前のコメント中途半端で送信されてしまいました いいたかったのは 金吾は辰野になって よかた よかた ということでした 子がない家でできの良い身内の子供を養子にするということは 昔はよくある話でした 私の祖父も金吾さんと同じく次男で養子に出されました 東京府立五中を出してもらいましたが不縁となり復姓しました これは余談です 養子になる条件に良い教育を与えられることがあったみたいです 近ごろついぞ養子縁組という話は聞いたことがないですね 家という概念がなくなったからですか きあかれても? ま さふですね あは あは
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ikasasikuy at 2015-10-27 21:58
juntaseasonsさん
こんわんわん ボクの周囲や親戚でそういう話は聞いたこと有馬温泉 まあ 貧乏人ですから 子だくさんは子だくさんでしたけど 子を養子縁組みでやり取りしたというのはきいたことないです 昔はよくあったんですかね ほんで キンゴがヒメマツからタツノになったのは 貧乏侍の子やったからやと思います でもタツノへ養子にいったおかげで欧州に留学できて・・(以下省略) ヒメマツのまんまやったら 唐津あたりの古本屋の親父ぐらいで終わったかもしれません |
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