2007年 01月 29日
剣客森下康之進は人畜無害流の師範である 七十にも見える老けた風貌だが まだ五十を三つ四つ超えたばかりである 普段はぼーっとしている しかし剣を持たせたなら天下無類の強さである 平蔵が三十年来師と仰ぐ達人なのだ 西宮にある人畜無害流森下道場からの帰り道 役宅のある宝塚へは二里半の道のりだ 普段の平蔵は電動早駕篭を使う その日 平蔵は何者かに後をつけられていた 着かず離れず 微に入り細に入り見事な尾行である 尾行しているのは江戸随一の仕掛人中村主邪(もんじゃ)であった 平蔵は逆瀬川で駕篭を降り 杵屋(きねや)といううどん屋へ向かった 以前に何度か来たことのある店だが 最近カレーうどんを始めたとの密告があり 「これは捨て置けぬ」 と 平蔵自ら探索に出たものである 杵屋は駅前の通り隔てた建物の一階にあった 店先では「実演」と称して うどんを打つところを客に見せている 最近このての店が増えたが 手の内を見せ過ぎではないかとの声もある 店の中はこざっぱりしていて清潔感がある 食台や腰掛けなどの調度も悪くない ただし女中がいかぬ 三人ほど居る女中はみな三十代半ばで薹が立っているというのに 南蛮渡来のミニスカートなるものを身につけ 太短い脚を恥ずかしげもなく露呈している これが並みの太短さではないから驚くしかない 「いらっしゃいましー」 「天ぷらカレーうどんをたのむ」 「かしこまりましてございますー」 「声が大きいのう」 「地声でございますー」 元気なのはよいが元気にもホドがある 始終女中同士で私語を発し、けたたましく笑い合っている 幕怒鳴怒屋の方がはるかに従業員教育ができている 待つこと十分弱 注文した天ぷらカレーうどんが運ばれてきた 濃いめの色をしたカレー出汁である 牛肉、油揚げ、玉葱、人参、青葱と具が多い さらにその上に貧弱な海老天が一本トッピングされている まず出汁をひとすすり 「むむむ、これはいかぬ」 甘ったるいお子様カレーの味である しかも カツオの「カ」の字もなければ 和風の「和」の字もない それに 肉がかたい 玉葱も人参も小学生切りで大きい (小学生切り=大雑把に切った野菜類のこと) 唯一許せるのは貧弱な海老天だけである カリッと揚がっており衣も海老も味は良い 次に麺をひとすすり 「むむむ、これもいかぬな」 麺が硬すぎる しかも太すぎる 美味いという評判はどうやらガセネタであった 早々に勘定を済ませ平蔵は店を出た 「これなら大和でカツカレーうどんであったのぉ」 と そのときである 通りの向こうから一人の侍がこちらへ向かって歩いてきた 町方の同心のようである 「これはこれは、長谷川様ではございませぬか」 「いかにも」 「拙者、南町奉行所同心中村主邪と申す者にございます」 中村主邪は いかにも人品の良さそうな作り笑いを浮かべ 平身低頭で挨拶に出た 「して、わしになにか用かな」 「いえ,お見かけいたしましたもので、ご挨拶をと、長谷川様の御噂は予々」 「さようか、わかった、以後見知り置く」 「それは、かたじけのうございます」 照れくさそうに頭をかきながら愛想笑いを浮かべる中村主邪であるが 顔は笑っていても目は笑っていない 平蔵はそのことに気付いていた 「それではこれにて」 「うむ」 それぞれに一礼をし 互いの向かう方向へ歩みだした 肩と肩がすれ違うそのときである 平蔵は俄に殺気を覚えた それは本能的なものであると言わねばならない それ以外に説明の術がないからである すれ違いざま 腰を落とした主邪の一刀が平蔵の脚をなぎ払った と同時に 平蔵はふわりと三尺ほど飛び上がっていた (キューバの女子バレーボール選手、ミレヤ・ルイス並みのジャンプ力) 一瞬でも遅れたなら平蔵は両脚を切断されていたであろう 主邪の一刀は空を切った 間髪を入れず 二の太刀を浴びせようとした主邪だが もはや平蔵の敵ではなかった 刀を振りかぶった主邪の脾腹に平蔵の拳がめり込んでいた 「むううん」 この一撃で勝負がついた 騒ぎをきいて駆けつけた番所の十手持ちが主邪を縛り上げ 荷車に乗せてカレーうどん改方役宅へ運び込んだ この中村主邪こそが カレーうどん改方密偵泥水の烏賊之助を殺害した仕掛人であることを このとき平蔵はまだ知らなかった 役宅に運び込まれた中村主邪は 横山同心の鬼の責めに耐えきれずすべての罪を吐いた 平蔵は主邪をお白砂にあげることはせず 「貴様のような奴はお白砂など勿体ないわえ」 と その場で斬り捨てた 後日 一心寺の墓所に墓参りをする平蔵の姿があった 「烏賊之助、お前の仇はこのわしが取ってやったぞ」 線香の煙がゆったりと棚引く 一月にしては妙に生暖かい午後であった
by ikasasikuy
| 2007-01-29 08:58
| カレーうどん改メ
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