2009年 07月 29日
アイスクリン
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アイスクリン。
E-410



夏と言えば
アイスクリン。だ

アイスクリームではなく
アイスクリン。だ

子供の頃
自転車の荷台に桃太郎旗を立てたおじさんが
どこからともなくやってきて

 「アーイスクリン。」
 「アーイスクリン。」

と、
まのびした売り声で
町々を売り歩いた「アレ」だ

ボクらは額に汗を光らせながら
しっかりと十円玉を握りしめていた

ざらっとした舌触り
あっさりした仄かな甘味・・・「コレ」だ

あこがれのアイスクリン。
ゆめのおやつアイスクリン。

いまはカップだが
当時は食べられる円錐形のコーンだった

by ikasasikuy | 2009-07-29 21:36 | 食文化論 | Comments(6)
Commented by ゾン at 2009-07-29 23:53 x
たしかの「南の国のアイスクリン」は有名やけどこないだ東二見でたべた氷イチゴはおいしかったで~あれは相当研いだ刃で氷をシャカシャカしていわゆるパウダ~スノ~的かき氷でしたねー
Commented by ささき at 2009-07-30 03:27 x
ゾンさん
東二見のかき氷
あれは絶品やったなあ
刃やっぱり相当研いでるか
せやけど
客待たせすぎやで
Commented by ladon at 2009-07-30 09:48 x
アイスクリンは、おっちゃんが自転車の荷台に木枠で囲った広口の魔法瓶に入れてアイスクリンと染め抜いた旗立てて、コーンの箱(確か日世のコーンやったように思う)を積んでランニングシャツに麦藁帽で鐘をチンカラリンと鳴らしながら売りにきてました。幾らの対価やったか忘れたけどよく買ってねぶりました。ほんで、かき氷は氷饅頭言うてました、コーンの皿に入れてくれる様になったんは大分後のことで、新聞紙の切ったやつに、じかに掻き落とし蜜をかけてくれました、わしらは新聞紙までねぶりたわし、ベロの色がイチゴの赤い色と新聞紙のインクの色が混ざり合った何ともいえん色になったのを思い出しました。尚、河内ではカキ氷のことは カンコリ ちゅうてました。
Commented by radon at 2009-07-30 09:56 x
追伸、連れの正垣君とこで作って売っていたアイス最中は、おいっしかったです、まさに、アイスクリンを最中に詰めてあり、遠くちゅうても隣の東成や、天王寺区、辺りから買いにきてはって、行列ができてました。残念ながら、確か隣からの出火で類焼して店閉めはりました。
Commented by Sa. Sa. King at 2009-07-30 12:09 x
左ladon刺傷、いや師匠
そうです
そうです
アイスクリン屋のおっさんは
決まって麦わら帽に薄汚れたランニングシャツ
コーンはたいがい日世コーンカップでした
うちのおかんは
あのおっさんなあ
冬は焼き芋の屋台引っ張っとんねんで
てゆうてました
対価は
たしか10円やったように記憶してます
大学新卒のサラリーが一万三千八百円の時代ですから
当時としては高級菓子の部類です
かき氷を「こおりまんじゅう」ゆうのは
大人になってからきいたんですが
笑福亭仁鶴の落語のつかみのところで
左ladon師匠のゆうたはるとおり
新聞紙をお椀にして
その上にかいた氷をのせて
気が付いたら新聞紙もいっしょに食てしもて
つぎの日おしりから讀賣新聞
ゆうて
ゆうてました
まあなんです
経済観念も衛生観念もまだまだ戦後でしたから
市場で買いもんしたら
焼き芋でも天ぷらでもちりめんじゃこでも
直接口に入れるもんはなんでもかんでもとりあえず新聞紙でした
「包装紙」という概念ができあがったのは
昭和33年ぐらいからやと思いますわ
Commented by Sa. Sa. King at 2009-07-30 12:09 x
ほんで
こんどは右radon死傷、いや師匠
こどものころ
あいすくりんは好きでしたけど
アイス最中は苦手でした
なんでかゆうと
かぶったあと
上あごに皮(ころも)がひっついて取れへんかったからです
姉はアイス最中が大好きで
高校卒業して就職したとき
給料の大半をアイス最中に費やし
半年ほどの間に
ごっつぃデブになってしもたことを覚えています


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