2010年 01月 04日
御幸森天満宮
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御幸森天神宮(みゆきのもりてんじんぐう)
OLYMPUS μ760

 

御幸森天神宮は
仁徳天皇を祀る猪飼野村の氏神である

昔むかし
この辺りには森があって
仁徳天皇が外出の折この辺りで休憩されたという
天皇が外出することを「みゆき(御行)」といったらしい
この近辺に多く住む百済からの渡来人の文化を見聞するための御行であったそうな
のちに「行」は「幸」となって
このあたりを「御幸の森」と呼ぶようになった



 かぜひいて ふしてながむる はつもうで
 
                        どろ


   風邪を引いて初詣に行けないので
   年末に撮った写真を病床で眺めつつ新年の気分にひたっている



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かつてここで
少年同士の決闘がおこなわれる予定であった
しかし
約束は果たされぬまま数十年の歳月が流れ
今日に至る

今更
決闘もないだろうとは思うが
それでも
男の約束は男の約束だ
少年は大人になった今も
決闘のことを憶えているそうな

さて
決闘はいつおこなわれるのだろう・・・

by ikasasikuy | 2010-01-04 10:16 | 宗教民俗学 | Comments(6)
Commented by ゾン at 2010-01-04 11:56 x
仁徳天皇といえば、仁徳天皇陵です。小学生まで住んでいたところが百舌鳥古墳群の周辺にありその中でも仁徳は世界最大の敷地面積のお墓やったはずです。昔ライヒーがよ~けおったけど、もうおらんやろな~
Commented by ikasasikuy at 2010-01-04 13:54
ゾンさん

>仁徳天皇といえば、仁徳天皇陵です。
というのは
えらい大胆なご意見ですよ
それは死んだあとの話ですし
生きている頃は堺にはいませんでした
古代の天皇は
代々都が変わるのが習わしで
先代の応神天皇はんの崩御後
仁徳さんが天皇陛下にならはったとき
軽島豊明宮(いまの奈良県橿原市)から
難波高津宮(なにわのたかつのみや)に都を変えたのです
こういうのを「遷都(せんと)」といいますよ
え?
知らん?
せんとくんやったら知ってる?
そうですか
ほんで
その難波高津宮というのは
今の大阪市中央区にあります
「高津の富」という落語を聞いたことあるでしょ
え?
ない?
あそ
面白い話ですよ
ほかにも
「崇徳院」や「高倉狐」にも出てくる有名なお宮さんです
場所は地下鉄谷町9丁目で降りてすぐ西側です

つまり
仁徳さんは現役の頃は「谷町9丁目」に居たはったんです
そこから
鶴橋、桃谷あたりへ
鷹狩りをしに行たり
高麗人の話を聞きにいったりしたはったんです
まあ3キロぐらいやから
歩いて1時間弱の距離ですよ
Commented by ゾン at 2010-01-04 18:38 x
そうなんやですか~・・・・しかし。漢字が多すぎて読むのたいへんです。
Commented by ささき at 2010-01-04 23:08 x
ゾンさん

>そうなんやですか~
というのは
新しいことばですね
たしかに漢字多いです
せやけど
ぜんぶひらがなでかいたら
かえってなんのこっちゃまっちゃにこうちゃになってしまいますからね

そうそう
みずはしかちひろがにんとくてんのうりょうにどーべるまんがはなしがいになっててさかなつりにはいったらかみころされるゆうてゆうてましたわ

Commented by ladon at 2010-01-06 16:47 x
御幸森天神宮の西疎開道路の南から2番目か3番目玉垣にに西澤秀松さんの名前があるはずです。これは西澤雅博氏の御尊父でありまして、西澤家は生粋の猪飼野村民であり、御幸森天神さんの氏子であります。西澤組の初仕事は、天神さんのエベッサン?の提灯釣りで始まります。何で天神さんやのにエベッサンやねんてつっこまんといてや・・・商売、商売、結構大阪の神社は、関係のうても悪乗りして、エベッサンやってるとこおまっせ。
Commented by ikasasikuy at 2010-01-06 18:39
左ラドン支障、あ、いや、師匠
そうですか
今年も西沢氏から丁重な賀状が来ておりました
ボクはいっこも出してへんのに申し訳ないことです
たしか
西沢氏の奥様の典子様は旧姓奥村でボクと同じ年の美形やったと記憶しております
元旦の朝
返信して誤摩化しておきました
そうですか
生粋の猪飼野村民ですか
ちゅうことは
なんですね
ご先祖は仁徳さんとも親しかったんでしょうかねぇ

 え?
 しらん?

あそうですか



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