2011年 05月 01日
ゲンキトカユウキトカ
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なんばパークス
fuji finepix z33wp



近ごろは
元気とか勇気は
「もらう」ものになっている
「元気をもらった」とか
「勇気をもらった」などという言い方をする
むかしは
元気や勇気は自ら「出す」ものだったんだけどな・・・と

 むかしの人間のボクは思う

ところが
みていると
ボクより年長と思しき人たちまでもが
「元気をもらいました」
とか
「勇気をいただきました」
などと言っている
こんな言い方
むかしからしてたのかなぁ
たぶん
してなかったと思うなぁ
でもみんな上手に使ってるなぁ

そうか
ボクが知らないうちに
元気や勇気は
自分で出すものではなく
人からもらうものになっていたのだ
そうか
そうだったのか

by ikasasikuy | 2011-05-01 07:24 | 日本語学 | Comments(14)
Commented by radon at 2011-05-01 08:50 x
一寸て、3.03㎝かへちゅうボケで・・・はずかし!!。元気とか勇気はツケルもんやったですな、贈ったり、貰ったりて中元?歳暮やあるまいし、お説のとおり自分自身が意志を持って取り込むもんで、その気が自身に無けりゃどんな美辞麗句を並べたてられても(美辞麗句はマヤカシだらけやど!!)ヒトラー罵詈にアジられても入ってこんもんです。元気や勇気もってると何か硬直(心も体も)するんで、私はフニャ・フニャ生きる事にしてます。元気や勇気に溢れている方・・・おきばりやす!!?。
Commented by bugscope at 2011-05-01 11:09
まったく同感です。
僕も
「元気をあげる」「元気をもらう」
「勇気をあげる」「勇気をもらう」
という表現には
常々疑問を感じておりました。
ついでに言うと
「アーチスト」という呼称も
濫用されている気がいたします。
Commented by mahasatou at 2011-05-01 14:39
ん~~
僕なんか最近よくいろんな人に
もらっているような気がしてます

でも「気がしてる」だけであって
もらっているものは他の何かなんですかね
何でしょう? ^^;

でもせっかく出していただいたものは
もらわねばイケナイ、気になっているのかもしれません ^^
東北人ならではの発想かも・・・
Commented by のら羊 at 2011-05-01 16:42 x
勇気凛々瑠璃の色という一節がありましたが、勇気の色は瑠璃色なんですね
勇気が「湧く」とか「みなぎる」とかという言い回しがあるところを見ると、流体の一種なんでしょうね
勇気をいただいたと言われてもやった覚えはないぞとか、返せと言われても覆水本に帰らずで、常にエントロピの高いほうから低いほうに向かっていくため、もう戻ってこないのだなとあきらめるか、さらに高いエネルギーを使って返してもらうしかないわけですね
また元気のほうですが、これはドラゴンボールの元気玉を見ても判るように、他人から貰う事のできるものでもあり、また元気が輝くという表現などからも推察されるように、流体というよりも素粒子や光と同様に波動するものであるとともに粒子的な挙動をする場合もあるものと思われます
光と考えた場合希望に光などと同じように気分を高揚させる効き目があり、、また好きな女の子から声をかけてもらったときのように、何かをきっかけとか触媒作用のようにして自己励起的にエネルギーが創造され、気分が高揚するためこれが『元気をいただいた』という思考に繋がるものではないかとかんがえておりますが、ハテ、何の話でしたっけ?
Commented by ikasasikuy at 2011-05-01 18:53
右Radon師匠
たしかに
心や体が硬直しているという状態は
とりもなおさず「元気」やっちゅうことに相違ありません
カチンコチンになりながら
こめかみに青筋の一つも立てて

「元気出していこー!」

まあ
こんなカンジでしょう
しかし
みながみな元気やと
五月蝿ぉてかなんですし
ふにゃふにゃ生きるというのも
一つの「テ」です
決して悪いことやないと
ボクは思いますです
Commented by ikasasikuy at 2011-05-01 18:54
bugscopeさん
「元気をもらいました」
というのは
「元気が出ました」
ということの言い換えに過ぎひんのでしょうねぇ
いわゆる「ハヤリ」の言い方やと思います
しかし
ボクにはどうしても違和感があるのです
たとえば
「ご注文のほうは以上でよろしかったでしょうか」
など
アルバイトの学生や若い子が言うてるうちはまだ我慢もできますけど
ヱヱ歳した大人までが同調して使うてるのをみるにつけ
なんで注文が「ほう」で
よろしいが「過去形」なのか

オマヱらがちゃんとおしえたらなアカンやろ

ボケたニッポン語を平気で使う大人を情けなく感じるのです
ただ
それだけのことですけどね
ほんで
アーチストですが
Artistに対応する日本語が多すぎるのです
もっとわかり易いように
「画家」とか「音楽家」とか「小説家」とか
ちゃんとニッポン語で言うべきでしょう
近頃は
なんでんかんでんアーチスト、アーチストゆうて
を使い過ぎですよ
「職人」までアーチストにされてしもてます
困ったもんです
ボクにとって「アーチスト」とは
王貞治とランディーバースだけですけどね
Commented by ikasasikuy at 2011-05-01 18:54
mahasatouさん
その後いかがお過ごしでしょう
町は活気を取り戻しつつあるのでしょうか
笹かまぼこの製造は復活しているのでしょうか
いい中古車は見つかりましたか
奥様はお元気ですか
まだまだ道は険しいと思いますが
是非
失ったものを取り戻してください
ほんで
東北では
むかしから元気とか勇気は
「あげたり」「もらったり」していたのですか?
もしそうだとしたら
ボクは考えを改めねばなりません
Commented by ikasasikuy at 2011-05-01 18:54
のら羊大兄
>勇気凛々瑠璃の色
なつかしいです
思わず口ずさんでしまいました
ほんで
>何の話

元気とか勇気を「もらう」という言い方が
過去に存在したか否かという話です
その件について
今朝
ボクと同年代の嫁に
「むかしからそんなんゆうてたか」
ときくと
「ゆうてなかった」

実に端的に答えてくれました
少なくとも
ボクの少年期、青年期には
そういう言い方はなかったんです
ところで
英語圏では
EnergyとかCourageは
どういうふうに表現してるのでしょう?
Commented by のら羊 at 2011-05-01 20:02 x
courageは勇気というよりも力の限りとか最大限の努力をするといった感じでYou need to muster up the courage to find your dream job...みたいに使います
energyというと、電池の宣伝みたいに充電される量が多いといった感じで使いますので、精神的な元気の場合はどうなんでしょうね
よく使うのはtake heartとかpep (up)とかですけどね
飯食って元気が出た場合はI'm full of beans.なんていうのもあるですね
なんせ語彙が貧弱なので、あんまり聞かんといて下さいませね
Commented by ikasasikuy at 2011-05-01 20:21
のら羊大兄
_u_m_u_m_u_
なんのこっちゃ
よぉわかりませんでしたが
なんにしろ
あげたり
もろたりするもんではない
ちゅうことでしょうか
元気をもらうという言い方は
たぶん
世界中でもニッポンだけやないかと思います
Commented by othum2bad at 2011-05-02 01:21 x
20世紀のド真ん中ちょい前に生まれ、長いこと生きておりますが、元気を「もらった」やら「いただいた」などという表現はしたこともありませんし、言われたこともありませんでした。
つい最近も若いひとをハゲましたら、「ありがとうございます、そう言ってもらえて、元気が出ました!」と言われております。
やはり個人差は大きいのでしょうが、「元気をもらう」などという言い方はウソ臭く感じてしまいますね。
そこまで言わんでも、とゆう気もしますが「もらう」という表現には、主体性の無さを嗅ぎ取ってしまいます。
ま、同じ「もらう」でも「もらい泣き」には「心」を感じますけど。
Commented by ikasasikuy at 2011-05-02 08:19

othum2badさん
そうですか
「もらった」と言われたこともありませんか
でも
テレビなんかではよく聞きますよ
ゆうべも
なんかのテレビCM
そうそう
ノコギリヤシです
おじいさんが
「ノコギリヤシで元気もらいました」
ゆうてましたけどね
まあ
あれはCMなので言わされてるだけですけど

言葉というのは時代とともの変化しますが
ほぼ「流行」が原因で
本人の知ると知らざるとに関わらず
だれかが流行の発端になってます
流行語大賞などがそれです
何年か前に
とある水泳選手が「気持ちいい」の頭に「超」を付けて言ったところ
そのなんじゃら大賞というのに選ばれ
いまだに流行していて
なんでんかんでん形容詞に「超」を付けてます
「超うれしい」とか「超うまい」とか
もともと「たいへん」とか「とっても」の言い換えなんですけどね

まあ
あれです
「元気」や「勇気」という言葉の中には
ボクには能動的な響きがあって
それを受動的に表現することに対してのギモンというか
違和感があった・・・ということで
少し書かせてもらいました
Commented by とち at 2011-05-22 16:00 x
私も常々「元気」「勇気」を「あげる」だの「もらう」だの
いう表現に違和感持ってました。「元気づける」「勇気づける」
「元気づけられた」「勇気づけられた」が元々の使い方じゃ
なかったですか??あげるもらう、では物体のやり取りに
思えて落ち着きません・・・
Commented by ikasasikuy at 2011-05-22 16:41

とちさん
こんにちわ
そうです
「元気をもらう」
というのが
どうにも納まりが悪いというか
どこか居心地が悪いというか
落ち着かないんです
ボクもずいぶん長い間
ニッポンでニッポン人をやってるんですけどね
ふと気が付くと
子供の頃よく使っていた言葉やモノの言い方が
忘れ去られたように使われなくなっているんです
そのかわりに
つい最近まで聞いたこともないような言葉が
あっちでもこっちでも
ごく普通に使われていたりします
それが
若者の流行り言葉ならいざ知らず
いい大人たちが
さも昔から使っていたような顔をして使っているのを見ると
「なんだかなー」

思うんです
言葉は時代とともに変わりゆくものだということは分っているんですけどね


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